創業期
大正9年、府中市府中町の一角にますやは誕生しました。同府中町の現在地ではなく、別の場所であったということです。
創業者は田中義一。3代目の現社長田中一眞の祖父にあたります。その後、2代目が継承して間もなく、召集令状が届きます。太平洋戦争の只中、ますやは食糧難と主不在で、営業の難しい時代を過ごしました。
黎明期
戦後、戦地から帰った2代目は、営業再開の準備を始めます。しかし、戦中から続く食糧難と、食料統制法のため、酒を提供する飲食店の許可はなかなか下りず、しばらくの間、仕出し専門で営業。その後、料理店を再開しました。
そして1950年代はじめに現在の場所に移転。この周辺は昔から造り酒屋や醤油屋・味噌屋が軒を連ねる地域で、美味しい、良質の水が湧き出る場所であったことは、
料理店には欠かせない、外せない移転理由であったようです。
発展期
やがて高度経済成長期に入り、日本は右肩上がりの好景気。府中市でも、木工・鉄工・繊維などの産業が発展。当時は、会社の接待にと各社よりご利用いただき、関東、京阪神など都会の口の越えた方々を安心してもてなせる店として喜んでいただきました。
現在
現在は、慶弔のお客様が半数以上、代々ご贔屓にしていただいているご常連さまに支えていただいております。一度ご利用いただくと、長くお付き合いしていただけることが私どもの誇りでもあります。
ますやの暖簾をくぐる時
父が、とても誇らしく思えた
年の瀬のある日
子ども達は、買ってもらったおもちゃや本を手に
ますやの玄関を上がる
母もいつもよりおめかしをしていた
昭和30年代、高度経済成長期の府中市は
鉄工、木工、繊維で町は活気づいていた
共働きの家庭が増え
集団就職で、遠くから若者たちがやってきた
日ごろ目にすることのないますやのご馳走に
子ども達は緊張し、行儀よくなった
お酒が入ると父は饒舌になり、
母も少しだけ、ビールを飲んだ
晴れの日の食事は
父の自信に満ちた表情と、優しい母の微笑みと
家族の笑い声と共に、
今も心の大切な場所にある
今から1300年ほど前、奈良・平安時代の頃のこと、都から国司が派遣され備後地域を治めるために国府がおかれ、約500年に亘って備後地域の政治・経済・文化を治めました。
その備後国府が、この府中市にありました。元町を中心に発掘調査が進み、遺跡や出土品などが当時の繁栄を物語っています。なお、国府のある町をPRするために「備後国府まつり」が開催されています。
府中市は人口43,000人余りの小さな町ですが、古代の昔から伝えられる歴史・伝説・民話の多いところでもあります。江戸時代、幕府の直轄領である大森銀山から続く石州街道が通り、都人や幕府の要人が往来する場所でもありました。
資料提供:府中市教育委員会・府中市歴史民俗資料館